抱えるストレス、不平不満が減るかもしれない生き方、考え方

こんにちは、マネおです。今回はなんだか哲学的なトピックですが、コロナ禍で時間を持て余していた私が考え抜いて到達した、抱えるストレス、不平不満が減るかもしれない生き方、考え方を紹介したいと思います。いくつか項目があるのですが、体系化できておらず、ただ書きなぐるだけなので主張に矛盾があるかもしれませんが、あくまで目的は抱えるストレス、不平不満が減らすことなので読者の皆様が都合の良いように解釈してください。それと、この記事を読んでいる間だけは先入観なしに真っ新な気持ちで読んでいただけると幸いです。

まず、地球外、宇宙からの視点で考える

宇宙には無数の星々が存在しています。それぞれの星はほぼすべて無機質な塊です。しかし、地球という星に着目してみてください。そこには生物と呼ばれる物体が生命活動して文明を発展させています。この時点ですでに面白すぎません?無機質な宇宙に奇跡的な確率で出現した生物がなぜかわからないけど生命活動して文明を発展させているんですよ?そして、私たちは偶然人間として生まれ、今を生きているわけです。

「地球で生きる」というゲームに参加している

私たちが生きているこの世の中は、最上級に自由度が高くリアルなゲームだと考えられます。このゲームに人間として参加できている時点でまずラッキーだと思います。このゲームの特徴を以下に列挙します。

・いつどこでどんな環境でどんな生物としてどんなスペックで生まれるかは完全に運。

・自由度は極めて高く、倫理観を排除すれば、スペックの許容内であればできないことはほぼない。

・物理的な空間がすべて詳細に作り込まれている。

・多種多様な生物、モノ、イベント、文化文明がある。

・常に時間が進んでおり、ゲームとして常に更新され続けている。

・現状の仕様として、「死」と呼ばれるゲームの終わりがある。

などです。これ以上に面白いゲームが存在するのでしょうか?(何ならこのゲームの中ですべてのゲームを遊ぶことができるんですけどね)

しかし、このゲームには残酷な設定が存在します。そう、最初に述べた、

「いつどこでどんな環境でどんな生物としてどんなスペックで生まれるかは完全に運

という仕様です。これは私たち人間を苦しめる原因の一つです。例えば、A君は高身長イケメン性格良し運動神経抜群超高学歴で家柄もよく、みんなに慕われていて仕事でも圧倒的成果を上げ美人な妻がとかわいい子供たちがいてお金もあり健康で何一つ不自由なことがありません。一方、B君はA君とは正反対のスペックだとします。この事実をどう捉えますか?こんなの不公平だ!と嘆くかもしれません。ここがポイントです。詳しくは次節で。

事実を事実として受け入れ、その上でどうするか考える

このゲームに公平性はありません。事実としてそうです。まずは何も考えずに受け入れましょう。ただ嘆いて、不平不満を言っても何も変わりません。むしろその発言により思考回路が負のスパイラルとなってしまいます。今の自分に与えられた手札でどうこのゲームを遊ぶかを考えましょう。そうはいっても、世の中に存在する不公正をそのままにしておけないあなた!不平不満を言わずに事実を受け入れろと言いましたが、例外があります。事実を受け入れた上で、覚悟を持って抗いましょう。不平不満をきっかけに行動するなら不平不満も意味を持ちます。ただ、抗う事実の対象の種類に注意しましょう。事実の種類として、自分がどうにかすれば解決すること自分以外をどうにかしなければいけないことがあります。前者の場合は自分が行動するだけで自分の環境を改善できるというリスクリワードの良さがありますが、後者は行動したとしても結局は自分以外の要因次第で、いつ解決するかそもそも解決するかどうかもわからないのでリスクリワードが悪いです。生涯をかけて私は抗います!という気概を持ち合わせてない方は、後者の事実は何も考えずに受け入れましょう。

良くも悪くも多様性があるという事実を受け入れる

もしこの世界に多様性がなかったら?生物は人間一種類。人間の見た目もすべて同じ。国の違いはなく、考え方もすべて同じ。建物もすべて統一的。つまんなさすぎますよね。(このゲームがはじめからそういう仕様ならつまんないかどうかも分かりませんが・・・)基本的には多様性があった方が面白いと思います。しかし現実としては、自分には理解できない価値観、自分より優れている又は劣っている、マイノリティ、自分の正義感に対する悪などに対して不平不満を言っている人は多々います。SNSが発展した近頃は世の中のそういった事実がより広く可視化され、不平不満を言っている人が増えたようにも感じます。この人たちはなぜ不平不満を言うのでしょうか?その理由は、「良くも悪くも多様性がある」という事実を受け入れられていないからです。簡単に言えば、自分が気に入らないものが存在していることが受け入れられないということです。そういった自分にとっての不都合が存在することがおかしいという考えを持ってしまうとついつい不平不満を言ってしまいます。では、どうすればいいのか答えは、自分に直接影響がない事柄の場合、そういこともあるよな、そういう人もいるよなとただ受け入れるだけです。たとえば、芸能人が不倫したとか、どこかの誰かがSNSで自分は間違っていると思う内容を投稿していたとしましょう。まず不倫についてですが、その人が不倫した場合、しなかった場合、自分に何の影響がありますか?自分がそれについて不平不満を言って、その不倫した事実は何か変わりますか?何も関係ないですよね。不平不満を言うことが自分にマイナスの影響を与えることはあってもプラスにはなり得ないです。次にどこかの誰かがSNSで自分は間違っていると思う発言をしていた場合についてですが、その投稿に「あなたは間違っていて、私のこの考えが正しいと思います」とリプライすることに何の意味がありますか?どうでもいい内容についてわざわざ議論することはストレスになるだけです。本当にその人が困っている、意見を募集している、間違った内容が世の中に影響するほどのことである等の場合以外に自分の考えを押し付ける必要性はありません。もし自分が当てはまっていてどうにかしたいと思う場合は、自分に影響を及ぼす事柄以外は無関心でいるように意識しましょう。上っ面だけでも、そういうこともあるよねと言い聞かせる訓練を積めば、余計なことに不平不満を言うことは減ると思います。それと、自分よりも見た目や能力が劣っていると思う他人を一方的に侮辱するのはスタート地点が完全に運であるこのゲームにおいてナンセンスだと思います。

確率的な出来事の存在を受け入れる

自分が置かれた状況が悪い意味で想定外だった場合、どうしてなんだ、こんなのおかしい!と現実を受け入れられずに動けなくなってしまう時がありますよね。なぜこのようなことになるのでしょうか?それは、自分が必ずそうなる、そうなって然るべきだと期待してしまっていたからです。期待することの何が悪いのでしょうか?確率的な出来事の存在を受け入れられていないからです。たとえば、急いでいるときに限って電車が遅延している(当然予定時刻に電車が来ると期待している)、クラス替えで嫌いな子と同じクラスになった(その子のいない穏やかな生活を思い描いていた)、最後の試合前にケガをして引退した(当然試合に出られると思っている)、事故で車いす生活になった(歩けることが当然だと思っている)などです。何が起こるかなんてわかりません。私がここで何を言いたいのかというと、常に何が起こってもおかしくないという姿勢でいることで、想定外のことに対しての感情のコントロール、それによる早期適応ができる可能性が高くなるということです。また、その姿勢でいると自分が満足できる環境にいることができているのなら、それはとてもラッキーで幸福であると思えるようになります。当たり前で享受できることがラッキーであるということを常に意識しましょう。

このゲームに意味はない

ここまでダラダラと書いてきましたが、これが最後の項目です。スタート地点に戻るようなことを言いますが、この「地球で生きる」というゲームに意味なんてありません。なぜ生物が懸命に生きようとするのかという命題に対する議論をたまに見かけますが、生きることに意味なんてありません。勝手にゲームに参加させられて、ゲームの終了条件である「死」が来るまで「生きる」だけです。このゲームの終わりまでどうするかは参加者の勝手です。無難に過ごすのもいいし、別に無理に楽しむ必要もありません。ですが、遅かれ早かれ終わりは来ます。この「死」という終わりのルールはこのゲームの最も優れた仕様だと思います。これだけは公平です。終わりが来れば、それまでの人生がどうであったかはもう関係ありません。なぜなら引継ぎはできないからです。ですので、不公平さに不満を持っている人はこの終わりのルールを希望にして(終わればどんな人もリセットされるから)どうにもならない事実はさっさと受け入れて前へ進みましょう。

まとめ、もっと俯瞰的な視点を持とう

最後に以上で述べたことをまとめます。

・無機質な宇宙の中の地球という星で生物が生命活動をして文明を発展させているということがすでにおもしろい。

・私たちは「地球で生きる」という最高傑作のゲームに人間として参加している。

・このゲームは不公平であり、これは事実である。基本的に、どうにもならないことは受け入れて進むのが定石。

・多様性を受け入れる。そんなこともあるよな、そんな人もいるよな精神で受け流す。

・このゲームではいつ何が起こるかは分からない。当たり前にできていることがラッキーで幸福であると自覚する。

・結局のところ、このゲームに意味はない。「死」という終わりが来るまで「生きる」だけなので、そんなに気負わなくていい。

・自分が負の思考に陥っているとき、視野が狭くなっていることが多いはず。上記のことを思い出して、自分を地球外から俯瞰的にみよう。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

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